2007年05月30日
抗日運動
また、この一連の爆撃に先立ち、2月から3月後半にかけて硫黄島の戦いが行われ、最終的に日本は硫黄島を失い、アメリカ軍は硫黄島を日本本土への爆撃に際して損傷・故障したB29爆撃機の不時着地として整備することになる。また、硫黄島の戦いが行われている最中の3月10日には東京大空襲が行われ、この頃から日本の大都市や軍需工場の多くが本格的な空襲を受けて行くことになる。あわせて連合軍による潜水艦攻撃や機雷の敷設により制海権も失っていく中、日本軍は練習機さえ動員し、体当たりによる自爆攻撃、いわゆる「特別攻撃隊」による必死の反撃を行う。
この頃満州国は日本軍がアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍と戦っていた南方戦線からは遠かった上、日ソ中立条約が存在していたためにソ連の間とは戦闘状態にならず開戦以来平静が続いたが、この年に入ると、昭和製鋼所(鞍山製鉄所)などの重要な工業基地が、中華民国領内から飛び立った連合軍機の空襲を受け始めた。また、同じく日本軍の勢力下にあったビルマにおいては、開戦以来、元の宗主国であるイギリス軍を放逐した日本軍と協力関係にあったビルマ国軍の一部が日本軍に対し決起した。3月下旬には「決起した反乱軍に対抗するため」との名目で、指導者であるアウン・サンはビルマ国軍をラングーンに集結させたものの、集結すると即座に日本軍に対しての攻撃を開始し、同時に他の勢力も一斉に蜂起しイギリス軍に呼応した抗日運動が開始された。最終的には5月にラングーンから日本軍を放逐した。
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